使っていないもの。
思い入れがあって、なかなか捨てられないものも含まれます。
こういったものを、私は少しずつ処分しています。
まだまだ取り組み段階ですね。
使っていないだけならいいのですが。
例えば、想い出というよりは執着がつまったものなどを
未だに捨てられなくて、大事に持ってしまっていたりするのですが。
その物からの圧力というものが
無意識の中には存在していて。
それらを手放してみたときに、
ふっと軽くなる感覚を覚えることがよくあります。
確かに、それは想い出ではなく
確固たる執着だったのだ、と実感せざるをえません。
そういった物が多ければ多いほど、
精神的な自由、もしくは心の余白の部分が
執着という黒いもので埋められていて
それが私に空間に重さを感じさせます。
それがそこに置かれていることには
重さは感じません。
いつもそこにあって、それが重いものに変わってきていることに自分は気がついていないから。
でも、その物を手放すことが出来た時、
身の軽さ、心の軽さ、空間の軽さを感じるのです。
「私は解放された」と。
それらは、物のせいではなく、
目には見えていなかった
過去への、人への、出来事への執着。
執着というのは、時に重いものになります。
過去から自分を引っ張って、
前に進ませてくれない。
それは、嫌な出来事だけでなく。
過去に得た栄誉なども含め。
時は流れます。
過去の自分が得た栄誉も、
楽しかった時間も、
時の流れと共に、過去に置いてきましょう。
そこに、その栄誉があったことを
置いておけばいいのです。
過去の事実は決してなくなることはありません。
私のエネルギーは、今を生きるために使うためのもの。
過去への執着へのエネルギーというものは
ただひたすらに今の自分を消耗させるだけです。
大事なことは、
今を受け入れること。
物の片付けは、心の片付けでもあります。
お読みいただき、ありがとうございます。
blog更新をしない間も
片付け作業は着々と進んでいますよw。
思い入れがあって、なかなか捨てられないものも含まれます。
こういったものを、私は少しずつ処分しています。
まだまだ取り組み段階ですね。
使っていないだけならいいのですが。
例えば、想い出というよりは執着がつまったものなどを
未だに捨てられなくて、大事に持ってしまっていたりするのですが。
その物からの圧力というものが
無意識の中には存在していて。
それらを手放してみたときに、
ふっと軽くなる感覚を覚えることがよくあります。
確かに、それは想い出ではなく
確固たる執着だったのだ、と実感せざるをえません。
そういった物が多ければ多いほど、
精神的な自由、もしくは心の余白の部分が
執着という黒いもので埋められていて
それが私に空間に重さを感じさせます。
それがそこに置かれていることには
重さは感じません。
いつもそこにあって、それが重いものに変わってきていることに自分は気がついていないから。
でも、その物を手放すことが出来た時、
身の軽さ、心の軽さ、空間の軽さを感じるのです。
「私は解放された」と。
それらは、物のせいではなく、
目には見えていなかった
過去への、人への、出来事への執着。
執着というのは、時に重いものになります。
過去から自分を引っ張って、
前に進ませてくれない。
それは、嫌な出来事だけでなく。
過去に得た栄誉なども含め。
時は流れます。
過去の自分が得た栄誉も、
楽しかった時間も、
時の流れと共に、過去に置いてきましょう。
そこに、その栄誉があったことを
置いておけばいいのです。
過去の事実は決してなくなることはありません。
私のエネルギーは、今を生きるために使うためのもの。
過去への執着へのエネルギーというものは
ただひたすらに今の自分を消耗させるだけです。
大事なことは、
今を受け入れること。
物の片付けは、心の片付けでもあります。
お読みいただき、ありがとうございます。
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片付け作業は着々と進んでいますよw。
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